バービーで繋ぐ日本とキューバ映画(1) | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

昨日、映画『バービー』を観てきました。

面白かったし(笑)色々な発見があり、今も楽しく反芻(はんすう)中です。

 

映画『バービー』オフィシャルサイト (warnerbros.co.jp)


ところで、私が《バービー人形》に興味をもったのは、エドムンド・デスノエスの小説「Memorias del desarrollo(仮:後進性の手記)」とその映画化『セルヒオの手記』のおかげ。…というか、紹介するために、調べざるを得なかったから。


※ デスノエスが咥えているのは、もちろんバービー(札幌での上映プログラムより)


映画『バービー』は、期待半分+不安半分でしたが、のっけから引き込まれました。
デスノエスのパートナー、フェリシアさん(『低開発の記憶』のハンナのモデル)が語っていたこと― 「バービーの出現は衝撃だった!それまで人形は抱っこして世話するものだったから」― が、まさに映像化されていたからです!

ちなみに、私はフェリシアさんの発言を〈バービーはアメリカの際限なき消費文化の象徴〉と捉えていたけれど、映画『バービー』では《女性に革命をもたらした!》という始まりでした。
 

↑「セルヒオの手記」上映プログラムより


そして、舞台は(女性革命を起こしたバービーたちが司る)〈バービーランド〉。
そこは、完全に女性優位の世界。
ケンたち男性は、バービーの存在を際立たせるための添え物でしかない…。
※ バービーとケンという人形を人間が演じているのが楽しい(笑)

さて、訳あって、主人公のバービーと、そのBFのケンが人間世界に行くと、そこは男性優位の社会。バービーランドとは真逆の世界を知ったケンは、“男らしさ”や“優位性”を持ちかえり、〈バービーランド〉を〈ケンダムランド〉に変えようと企むが―

続きは、ぜひ映画でごらんください。

Marysolより
私が小学生低学年の頃、バービーはすでにあったけれど、ゼンゼン可愛いと思えなくて、タミーちゃんで遊んでいました。


だから、バービーに思い入れはなく、興味をもったのは、始めに書いたように、キューバ人作家エドムンド・デスノエスの作品がきっかけ。


それで、バービーについて少しは知ったつもりでしたが、人形の生みの親、ルース・ハンドラーのことは全然。映画でも最初は架空の存在かと思いました。


帰宅して『Memorias del desarrollo』の資料を見直したら、2009年4月21日の日経新聞の文化欄(36面)の「日本人「バービー」50歳」と題するエッセイにも書かれていました。
        
   
ルースさんとバービーの対話シーン、良かったですね。

ちなみに、一番笑えると同時に衝撃を受けたのは〈ケンはバービーの視線を勝ち取るためだけに存在している〉とかいうセリフ。
瞬間的に〈イブがアダムの肋骨から造られた〉ことを想い、「これぞ革命的神話‼ バービー版創世記⁈」と思いました。


マテル社の重役会議が男性だけというシーンも、よくある日本の団体風景と重なり、不気味でしたね。
男性優位社会も女性優位社会も、どちらかに偏るのは異様だし、両者にとってストレスフル。
そんなことに気づくためにも、男性にもお薦めしたい映画『バービー』です。

追記

上の新聞記事の続きによると、1971年のニクソンショックを契機とした円高で日本での生産が難しくなり、バービー人形は日本から巣立った、とのこと。

尚、映画『セルヒオの手記』に出て来るバービーは、1966年のインドネシア製でした。

 

ブログ予告
次は、誰の理解も共感も得られないのを承知で、キューバ映画と絡めてあれこれ書いてみたいと思っています。