新しい“人間主義”と“新しい人間”主義 | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

今村昌平監督が5月30日に亡くなられました。
私にとって監督の作品世界は、どろどろした底なし沼のイメージ。
混沌としていて、向き合うのにすごくエネルギーが要るから、なかなか観られません。
昨年、意を決して『にっぽん昆虫記』『復讐するは我にあり』を観に行った時も、終わるとぐったり…ヘトヘト…まだまだ修行が足りない…


「エネルギッシュ」「わい雑」「たくましい」
そんな言葉に頷きながら、各紙の訃報記事を読んでいると、ふと思いがけない一行に目が留まりました。
「東京・大塚の医家に生まれた今村さんは、ひ弱な都会っ子の自分に劣等感を抱いていた」 (日経新聞コラム「春秋」より)


え?!あんな骨太な映画を作る人が?ひ弱な都会っ子だった?
衝撃の一行!
でも急に、氏の存在が身近に!
あの監督が、自分と格闘していたなんて…
氏の作品が放つ、あの強烈な気迫は、自身の限界に挑み続けるなかで噴出したマグマだったんですね。
その後“ひ弱な都会っ子”は、戦後の闇市に入り浸って、虚飾のない人間の生態をつぶさに観察したそうです。


「戦時中の古い精神主義に反発し、新しい人間主義を打ち出したかったのではないか」という指摘にも注目。
日本が、敗戦を機に「古い精神主義」から「新しい“人間主義”」へ移行したとすれば、キューバの場合は、革命を機に「個人主義」から「新しい集団主義」=“新しい人間”主義という、対照的な道をたどったのでは?


ただ、どっちへ向かおうと、主役は同じ“人間”。
今村監督いわく「人間とは何とうさんくさいものか、何とこっけいなものか、何と優しく、弱々しいものか、そして、人間とは何と面白いものか」

                     今村監督


そう、人間だもの、なかなか神様のようにはなれません。
たかが人間、されど人間
困ったヤツだけど、一番オモシロイ生きもの。
でも、他の動物が口をきいたら「イイカゲンニシロ!自分ばかり勝手なことしやがって」と、ドヤされそうですよね。


今村監督、愚かでたくましい人間の生態を見せてくださってありがとうございました。
私ももっとたくましくなって、監督の作品を笑いとばせるよう頑張ります。
(家族から「イイカゲンニシロ!」の声あり)


*「新しい人間」について
(コピーしか手元にないので確認できないのですが)青木書店『ゲバラ選集』第4巻に収められている「キューバにおける社会主義と人間」を参照してください。
ゲバラ(小)


*マリオ先生に訃報を伝えたところ、キューバでも今村監督は有名で、60年代に氏の作品が上映されていたそうです。