キューバ映画におけるT.G.アレア監督の存在意義 | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
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先日、新しいキューバ映画のウェブ誌『アルテルナ』を紹介しました。

    

 

第1号の表紙を飾ったのは、今やキューバ映画の重鎮、フェルナンド・ペレス監督ですが、本誌の中でペレス監督は「表紙には自分ではなく、トマス・グティエレス・アレア監督(愛称ティトン)の写真を望んでいた」と言い、その理由を次のように語っています。

    ティトン

 

「ティトンは我々の歴史や現実について最も意義深い映画を残してくれただけでなく、思想を残してくれた。反体制的な彼の思想は今も生きており、我々の論争とシンクロしている。そこで、私は『悪魔と戦うキューバ人』(1971年)を見返してみた。

本作は、アレアの作品の中ではあまり評価が高くない(おそらくその理由は、寓意的スタイルにあり、ブラジルのシネマ・ノーボ、とりわけクラウベル・ローシャの影響にあった)。

本作の不均衡さは、ティトンが対峙した時代の倫理的および政治的二者択一と呼応している。

グラン・サフラ計画の失敗、UMAP、灰色の5年の始まりと宗教の信者や同性愛者への迫害、イデオロギーの断定化が背景にあった。

だが、本作には、それ以上のものがある。あらゆるドグマ(教義)や悪魔と闘った歴史に沿って、キューバの精神やアイデンティティを捕えようとしたのだ。

これこそが、芸術や人生に対して探求的で非順応的だったティトンの態度であり、彼の芸術的探求、一市民としての探求の熱心さだ。そして、現在の我々の挑戦と共にあるものなのだ。

彼を「アルテルナ」第1号の表紙にしたかった意味はそこにある。彼の思想と作品は我々の間あり、我々を代表しているからだ。」