アレア監督とアルフレド・ゲバラの対立 | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
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ICAIC創設65周年を祝うトークイベントの《トマス・グティエレス・アレア監督》がテーマの回で、ミルタ・イバラ夫人が〈アルフレド・ゲバラ長官との不和〉を話しましたが、今日はアルフレド・ゲバラの反論を紹介します。

参照したのは、キューバ映画研究家で先日「アレッホ・カルペンティエル賞」を受賞したアントニオ・ガルシア・ボレロ氏のFB投稿(彼が執筆中のアレア監督の伝記の一部)。

 

背景については、下の拙ブログ記事をご参照ください。

『PM』上映禁止事件 | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

アレア監督、ICAIC幹部を辞任 | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

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「ルネス・デ・ラ・レボルシオン」の消滅は、当時のキューバ知識人界におけるICAICとその長官アルフレド・ゲバラの地位強化を予測させたが、ICAIC内部では重大な危機が起きていた。その危機とは、ゲバラ長官と彼に反発する映画人たちの間に生じた分裂で、PM事件はそれを露わにした。

 

PM事件に先立つ1961年5月25日、アレア(愛称ティトン)はゲバラ長官に宛て、彼の方針に批判的な長文の覚書を送っていた。

以下はその要点:

a)    反動的な映画から得られる知識が、革命的な芸術家の仕事において、積極的で革命的な解決策を生む可能性もある。

b)    我々の仲間に悪影響を及ぼし得るという理由で作品を隠蔽することは、仲間の成長の妨げになるだろう。そして、必然的な結果として、良いとされる意見に対する不信を招くであろう(なぜなら、現実と向き合わないからだ)。

c)    全ての作品をある特定の個人の好みに合わせたら、我々の作品に多様性はなくなるだろう。

d)    意見の押し付けは、たとえ正しい意見だとしても、両刃の剣となる。なぜなら、反発(非常に人間的だ)が生じるからだ。

e)   誰も他者に代わって思考することはできない。

 

これに対し、ゲバラ長官は執行委員会で次のように激しく反論した。

「私は拒絶し、告白せねばならない。許せよ、ティトン。傷つける意図は全くないのだから。だが、私に対するティトンの態度は大概において誠実ではない。私の感じるところでは、私の言葉、私の態度を常に歪曲し、私を“スターリニスト”や、教条的な立場を擁護する側に見せかけようとしている。私が図式的な芸術に到るような道をつくり、芸術家の創造的可能性を狭めたり、条件を設けたり、特定の思想を強要し得る理論的立場を擁護・実践しているかのように仕立てあげている」。  

  

 

Marysolより

アレア監督の指摘が理論的で説得力があるのに対し、ゲバラ長官の反論は客観性と説得力に欠けるように思います。

この反論を読むと、ゲバラ長官がアレアの作品に好意的でなかったことが理解できます。

また、アレアの「誰も他者に代わって思考することはできない」という指摘は、まさに『低開発の記憶』のメッセージと同じです!(時代背景も)