前回に続いて、創設65周年を迎えたICAICにまつわるトークショーの紹介。
今回のテーマは〈トマス・グティエレス・アレア監督〉、愛称〈ティトン〉。
登壇者:ローラ・カルビーニョ(シネマテカ副館長)、ミルタ・イバラ(故アレア監督夫人、女優)、ホルヘ・ペルゴリア(俳優)、グラナード(撮影監督)
メインスピーカーは、ミルタ・イバラさん(以下、敬称略)だったので、彼女の話から個人的な関心事をメモ代わりに記しておきます。※はMarysolの注釈
彼女の話で印象的だったのは、アルフレド・ゲバラ(ICAIC長官)との不和や対立。
『侵略者に死を』(1961年)はサンティアゴ・アルバレス監督の作品ではなく、アレア監督の作品だと主張。(※アレアはゲバラ長官に抗議の手紙を送っている。尚、このトークの質疑応答で、アレア監督を子供の頃から知る男性が異議を唱えたが、話の途中でビデオが終了し、残念!)
時期は不明だが、ガルシア・マルケスの誕生祝の際に、ティトンとゲバラ長官がエレベーターで乗り合わせたが、互いに目も合わせなかった!
(※アレア監督の晩年、某氏はゲバラ長官から「ティトンは反革命になったのか?」と尋ねられた、と某氏本人から私は聞いたことがある)
ゲバラ長官はアレア作品を評価していなかった!
『低開発の記憶』をゲバラ長官は公開したくなかったが、ドルティコス大統領が内輪の試写で観て「これぞ革命が生んだ作品だ!」絶賛したので公開できた。(※ドルティコス大統領が賞賛したという話は他でも読んだことがある)
『最後の晩餐』を「エリート趣味」と断じ、2年間もお蔵入りになっていた。
ちなみにアレア夫妻がパリに行ったとき『最後の晩餐』を映画館で上映していたので、話を聞くと「もう2年間もロング上映しており、奴隷制について学びに学生たちが見に来る」とのことだった。
“Hasta cierto punto”(日本未公開)については、公開前からネガティブな雰囲気ができていた。ゲバラ長官は「ティトンは文化人と労働者を対立させた」と言ったが、実際は逆で「両者共にマチズモを抱えており、それは文化的問題であることを描いた」。
『グアンタナメラ』については、ミルタいわく「フィデルに誤って伝わった」。
(※本作はフィデルを怒らせ、演説で本作を反革命と呼んだと言われている)
だが、アベル・プリエトから「ティトンの作品だ」と教えられたフィデルは「何も知らなかった」と言い、謝罪を伝えるべくレタマールを家に寄越した。ミルタいわく、フィデルは間違いに気づけば謝るし聴く耳をもっている。
ティトンの誠実さを象徴するエピソード
先のマルケスの誕生会で、パリから帰国したばかりのゲバラ長官が「キューバには本が無さすぎる。遅れをとっている」と言いだし、フィデルが「いったいパリでアルフレドに何があったのか⁉」と慌てたとき、何年も口をきいていなかったゲバラをティトンだけが挙手をして「キューバにはこれこれの本が必要だ」と擁護した。車に戻ったとき、マジート(マリオ・ガルシア・ホヤ)が悪態をつき、「なぜアルフレドを庇うのか?」と言ったとき、ティトンは「私は彼を擁護したのではない。キューバの文化を擁護したのだ」と答えた。
そのお返しではないだろうが、ゲバラ長官も一度だけティトンの作品を擁護した。
それは『苺とチョコレート』。ミルタいわく「映画は政府官僚たちをパニックに陥れたが、アルフレドが擁護した」。
検閲に反対
(上映が許されなかったドキュメンタリーをティトンは支持していたという、グラナード氏の話を受けて)ティトンは、検閲を非常に心配していた。PM事件のことは書簡集に書いた通りだ。
アレア監督、ICAIC幹部を辞任 | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)
PMは今観たら「何が問題なのだ?」と言う程度の作品だが、最初の検閲事件になったことで大事になってしまった。背後には別の事情があった。映画に参入したい人たちがいたのだが、ゲバラ長官が望まなかったのだ。
書簡集とドキュメンタリー(注:どちらもミルタ夫人の作品)は補完関係にある。
ミルタ・イバラ、故アレア監督のメッセンジャー | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)
アレア作品の特長
「映画をショー(見せ物)と理解しつつ、現実を批判することで現実をより良くするツールとして捉えていた」
「ティトンは『批判されない現実は良くならない』と言っていた」「批判するのが敵側ではなく我々なら、我々は敵から武器を取り上げることになる」
「ティトンは非常に誠実で、キューバの現実に深く関わり通した革命家だった。多くの面で苦悩を味わっても、決して口には出さず沈黙を守った。革命を傷つけたくなかったからだ」
「彼の作品は見かけは歴史ドラマに見えても、実際には(その時の)現実を表現している」
「観る度に発見がある」