『低開発の記憶(仮題)』とヘミングウェイ | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

発売されたばかりのNHKラジオ・スペイン語講座テキスト12月号。
いつも買ってくると、まず最初に「おしらせ」をチェックするのですが、今月トップに登場していたのが『キューバ映画祭』!!!
「間に合ったんだ~」とホッ。


「どれどれ、何て書いてある?……オッ! 日本でも公開されて評判の高かった「バスを待ちながら」「永遠のハバナ」のほか、革命直後のキューバを舞台に数々のドキュメンタリー映像を組み込んだ不朽の名作「低開発の記憶(Memorias del Subdesarrollo)」をプレミア上映(本公開は2007年5月予定)”だって!」 なかなか“期待させる紹介”―
私の心も期待と不安でザワザワしてきました…


さて、この紹介文にもあるように『低開発の記憶』はフィクションとドキュメンタリーが見事に融合した“ドキュ・ドラマ”と高く評価されている作品。

(ちなみに『永遠のハバナ』も別の意味で“ドキュ・ドラマ”)


フランスのヌーベルバーグを思わせるドラマ部分も魅力的ですが、歴史的に貴重なドキュメンタリー映像も見所です。
また、歴史的事件ではないものの、貴重な映像と思われるのが

「ヘミングウェイの家(博物館)」のシーン。

   ヘミングウェイの家
そこでまず驚くのが、映画が撮影された当時、観光客はあの家の中に入って見学することができたうえ、展示物に触ることさえ出来たこと。
私が初めてキューバに旅行し(1998年末)、ヘミングウェイの家を見学したときは、外から内部を伺うことしか出来なかったのに。


次に興味深いのが、ヘミングウェイの秘書兼執事だったレネ・ビジャレアル本人が、ガイドとして登場していること。

肉声でヘミングウェイの思い出を熱心に語っています。
でも映画『低開発の記憶』の主人公セルヒオを通して語られる、レネとヘミングウェイの関係はネガティブ。
「こんなこと言っていいの?」小心な私は、観るたびに不安になったものでした。
そうしたら案の定、映画はレネを怒らせていたんですね~、しかも激しく!

            ヘミングウェイ キューバの日々
「ヘミングウェイ キューバの日々」↑(ノルベルト・フェンテス著/晶文社)には次のような後日談が披露されています。

アレア監督本人の発言―
「あの映画が劇場で上映されたとき、レネは銃を手にして、エドムンド(原作者で脚本も書いたデスノエスのこと)とわたしを探しまわったという。見つけしだい殺すつもりだったようだ」

「あの男は映画がフィクションだっていうことを理解しなかったようだ」


昨年ハバナ映画祭でデスノエス氏に会ったとき「レネは二人を殺そうとしたそうですね」と言ったら、愉快そうに笑ってました。
まったくアレア監督にしても、デスノエスにしても挑発的なんだから~。


で、まんまと二人が作った映画の挑発にのってしまった私は、今年もハバナへ行ってきます…
でも後悔はしていません。
むしろ“乗りがいのある挑発”だと思っていますので、皆さんもぜひ映画を観てくださいね!


最後に「ヘミングウェイはキューバをどう思っていたか?」
次の言葉を参考に紹介して終わります。
「私はこの国を愛する。まるで我が家に居るように感じるのだ。人が自分の生まれた場所以外で我が家にいるように感じるとすれば、それこそ、運命づけられた場所というものだ」


追記:前述の本によると、レネは1970年代に米国に移住したそうです。
   (ヘミングウェイの最後の妻、メアリー・ウェルシュの援助で)