前回に引き続きキューバを代表する画家、ウィフレド・ラム(写真左)の話題です。
証言者はラファエル・ラム(音楽研究家・ジャーナリスト/写真右)。
苗字から分かる通り2人は親戚関係にあり、ラファエルは1967年と'81年に画家に直接インタビューしたことがある。
今回はCubaencuentroの彼の寄稿からラムの発言を4つ選んで紹介します。
映画『低開発の記憶』のセルヒオの発言(時代)に通底するところがある気がするので。
★作品「ジャングル」について
「ジャングル」は、ヨーロッパ人植民者に対する私の国からの報復だ。
そこにはアフリカの神話があり、砂糖黍畑の中にはプランテーションの文化がある。そこはアフリカ人たちが暮らし、ひどい苦しみを味わい、音楽の文化や舞踏を創造した所だ。
あれは、いわゆるブルジョアジーの“趣味の良さ”に対する私なりの闘いなんだ。もっとも、それほど良い趣味とは思わないが。
★ヨーロッパ文化について
ヨーロッパ人の文化は華麗な(装飾の)文化だ。ヨーロッパとは壮大なミュージアムのようなもの。だが結局はミュージアムに過ぎず、理想化され過ぎた。そんなミュージアムはいずれ疲弊してしまうだろう。
そして、アフリカ、インド、アメリカの本来の文化に助けを求めることになるだろう。
キューバのブルジョアジーの文化は借り物で、彼らは私を黒人の画家と呼んで差別した。
己の現実からこれほどかけ離れた人たちを私は見たことがない。
私は、こんな嫌な人たちに自分の絵が好まれなくて嬉しかったくらいだ。
当時のキューバには文化的な裏切りによる弊害があり、それを押し付けたのは常にブルジョア化した輩だった。それはキューバの知識人層をひどく害し、そのせいで自分を見失ってしまう者も多くいた。
私はパリにいたときから、私自身のものであるアフリカ芸術の道に進もうと思い定めていた。
私の祖先の黒人たちのプロテストのエネルギーを注ぎ込む必要があったのだ。
★被植民者の文化を擁護したフェルナンド・オルティスやアレッホ・カルペンティエルについて
彼らは私の友人だ。フェルナンド・オルティスは、私に敬意を表しに訪ねてくれたし、彼のような賢者の影響下で私は創作していた。
リディア・カブレラは、私をババラオの元へ連れて行ってくれた。ババラオたちは世界を駆け巡る私の生活に起きる有為転変から何度も私を守ってくれた。
リディアはあるとき私にこう言った。「ヨーロッパは貴方のものではない。キューバに目を向けなさい。そこにこそあなたの世界が有り未来のパワーがある」と。
★ホセ・アントニオ・ポルトゥオンドが“新植民地主義”と頭ごなしに決めつけた「サロン・デ・マヨ」の集団壁画について
あれは、アラン・ジュフロワが言ったように、異なる様々なフォルム、テクニック、詩的・政治的意味から成る矛盾の地図だった。
コンサートが不協和音と化すのを案じる者もいた。
カオスだったが、意識的、直観的かつ音楽的だった。
秩序と無秩序が混在したが、ヨーロッパ的なヒエラルキーとは無縁で、ゆえに偏見もなかった。
時代の証言だったのだ。