フェルナンド・ペレス監督@山形(YIDFF) | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

先週の月曜日(10日)、山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF)の<キューバ特集>を見に一日だけ滞在。気になっていた未見の映画を見て、フェルナンド・ペレス監督の熱いトークを聴いてきました。

というわけで、遅ればせながら、YIDFFにおける<キューバ特集報告>をしたいと思います。
MARYSOL のキューバ映画修行-フェルナンド・ペレス監督
まず第1回目は、フェルナンド・ペレス監督@山形
*参考資料:山形国際映画祭2011公式カタログ


上映作品(10月10日プログラム)
『4000人の子どもたち』 (原題:4,000 niños)

1980年/カラー/15分
監督:フェルナンド・ペレス
撮影:ロベルト・フェルナンデス、イバン・ナポレス、ロドルフォ・ガルシア
編集:フリア・イップ
内容:
6月1日は「国際こどもの日 」。
当日スタジアムで行う大イベントで遊戯や人文字を披露するため、4000人の小学生たちが週1回4ヶ月に渡って練習に励む。教師たちの忍耐強い指導のもと、バラバラだった子供たちの動きが徐々に形を成していく。大人の意気込みに対し、子供たちのユルさが微笑ましく、達成感と安堵に包まれるラストがほのぼのとした余韻を残す。ICAICラテンアメリカニュースの好篇。
ちなみに標語“Los niños son la esperanza del mundo.(子供は世界の希望)”は、キューバ独立の父、ホセ・マルティの言葉。


『カミロ』 (原題:Camilo)

1982年/カラー/24分
監督・脚本:フェルナンド・ペレス
撮影:ギジェルモ・センテノ
編集:ミルタ・ロレス
録音:ヘロニモ・ラプラタ、エミリオ・ラモス
内容:
フィデル・カストロやチェ・ゲバラと並ぶ革命の英雄で、最も民衆から愛されたカミロ・シェンフエゴス。本作は、彼の育った家庭や、革命家となる以前、米国に出稼ぎに行っていた頃に、カミロが両親に宛てて書いたユーモアと家族愛のにじむ手紙を通し、カミロの本質的な魅力に迫ろうとしている。


『オマーラ』 (原題:Omara)

1983年/カラー/26分
監督・脚本:フェルナンド・ペレス
撮影:ギジェルモ・センテノ
編集:ロベルト・ブラボ
録音:ヘルミナル・エルナンデス、ヘロニモ・ラプラタ
内容:
キューバを代表する女性歌手として世界的に有名なオマーラ・ポルトゥオンド。歌が大好きな少女は、どのようにして国民的歌手へと成長していったのか。

その輝かしいキャリアを辿ると同時に、肌の色や身分を越えて結ばれた両親のロマンス、幼年時代のエピソード、歌手仲間との友情など、オマーラを育んだ人間関係にも焦点を当てている。


Marysolから一言
①から③まで共通しているのは、どんな偉大な人物でも“等身大”の人間として捉える視点。私がキューバ映画を好ましく思うのも、その姿勢に共感するからだと再認識しました。


★フェルナンド・ペレス監督トーク(大筋)
☆上映作品についてのコメント
① この作品には、私の娘も映っている(あくびをする女の子)ので、とても思い出深い作品です。1980年代は(経済危機が起きる以前で)、4000人の子供たちの交通手段やおやつまで用意する大きなイベントが可能でした。

② 率直で、表現力豊かで、冗談好きなカミロは、キューバ人の典型と言えます。
そういう彼の本質を書簡を通して表現しようと思いました。

③ オマーラも、キューバ人らしさを体現しています。
また、彼女のチカラの源泉は、両親のロマンチックな実話にあると考え、そのエピソード(ドクドラマ)で始めました。“アミーガス(Amigas:女ともだち)”の歌のシーン(昔のカルテット時代の仲間、モライマ・セカダやエレナ・ブルケと何十年後かに共演するシーン)も素晴らしいと思います。


☆ その他のコメント+Q&A内容
私は変化(cambios)と進化(evolución)を支持します。
真実は一つではありません。ドグマチックになってはいけません。


90年代の平和時の非常事態の際、キューバ映画も危機に陥りました。
‘96年には一本も映画が撮れませんでした。
でも、キューバも映画も生き残りました。


毎年恒例の「新人上映会(Muestra de Jovenes Realizadores)」には100本近くの応募作があります。
技術の進歩のおかげで、個人が少ない予算で映画を撮ることが可能になりました。


私の頃は長い修業期間が必要でした。私は1962年、17歳でICAIC(映画芸術産業庁)に入りましたが、初めてドキュメンタリーを撮ったのは1974年でした。最初の長編フィクションは1988年、44歳になっていました。
でも、私は“60年代世代”であることを幸運だったと思っています。
「今より良い世界を築ける」と信じられるムーブメントがあったからです。


ICAICに頼らなくても個人で映画を製作できる時代を迎え、ICAICとしては若い人の活躍を後援するほか、ICAICや上の組織を改善する必要があると思っています。
また、私自身もインディペンデント映画を撮りたい、“変化”に参加したいと思っています。


拙ブログ参考記事:
キューバ映画の傾向と問題点(2009年8月)
http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10314508646.html

フェルナンド・ペレス監督の紹介
http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10001098426.html
(拙ブログ最初の記事!懐かしいけど、今となっては意味不明の色使い…)

★ペレス監督の作品については、拙ブログ左端「テーマ一覧」のトップ、

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監督の印象:
私がペレス監督に抱くイメージは「キューバ人らしからぬ内省的な“静”の人」だったのですが、赤いシャツを着て熱弁をふるう姿は“やっぱりキューバ人”でした!