『危険に生きて』 | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

この記事は昨日書きました。

きょう3月24日は、ICAICの50回目の誕生日。

タイミングよく、マリオ先生から革命闘争を描いた映画『危険に生きて』のコメントが届いたので、紹介します。

先日の記事 を編集中(リンク貼り)、「同映画のコメントががが欠けている」ことに気づき、お願いしました。


MARYSOL のキューバ映画修行-危険に生きて2


『危険に生きて』   マリオ・ピエドラ(ハバナ大学教授)
フルヘンシオ・バティスタ将軍はクーデターによって大統領の座につき、1952年から1959年まで独裁体制を敷いた。キューバ国民の多くは、この独裁を解く道は武装闘争しかないと理解していた。だが闘争は大勢の犠牲者を生んだ。

バティスタに雇われた暗殺者の手にかかり街中で殺される者が続出した。


反バティスタ闘争には二つの型があった。一つは、キューバ東部のシエラ・マエストラと呼ばれる地域でのゲリラ活動。もう一つは都市ゲリラで、キューバの主要都市で展開した。
警察や軍隊の力は都市の方がより効果的に発揮されたので、直接対決する都市ゲリラの危険はこの上もなく大きかった。こうして多くの若い活動家たちが拷問を受け死亡した。


革命から長い歳月を経た今、都市ゲリラや山岳ゲリラとバティスタ逃亡の因果関係を明確にすることは難しい。だが、彼ら都市ゲリラの存在が極めて重要だったことは確かだ。


フェルナンド・ペレス監督の初の長編、『危険に生きて』は、都会で

バティスタ政権と闘って命を落とした多くの若者へのオマージュだ。
しかし大事なのは、監督がそうした若者達の人間的な側面を描くことに意を注いだこと。彼らの抱いている愛や夢をありのままに描いたことだ。
本作で描かれるアクションシーンの多くは、実在のエピソードである。

例えば銃砲店の襲撃、野球試合中の抗議活動、住居への襲撃などは、実際に起きた事件である。
ただし、中心となる革命派の恋人同士のエピソードはフィクションだ。


スペインの思想家、オルテガ・イ・ガセットが「私とは、私と私の環境である。(私がもし私の環境を救わなければ、私自身を救わないことになる)」と言ったように、この映画の若い主人公たちは、変革期の状況に完全に身を投じている。しかも決して人間らしさを失さを失わずに、ごく普通の人間として、疑問を抱いたり、過ちを犯したりする。英雄的なときも、そうでないときもあるが、間違いなく真っ直ぐで勇敢な若者たちだ。

本作は公開されるや、一般からも批評家からも賛辞を浴びた。登場する若者たちは勇敢であっても、完璧なヒーローではない。ただ自分達の負うべき歴史的役割を果たしたのだ。
ペレス監督は、アクションや戦争映画に特有の“叙事詩”的な要素を盛り込んだが、ヒーローだって人間であることを示すのを忘れはしなかった。


この人間性こそが、本作をキューバ映画のなかで最も優れた作品の一つに押し上げた。
自分の命を、我が身を越えた、より大きなものに、自らの存在を捧げる用意があるのは若者だけだった。だから行動に移した。愛することを忘れず、命の営みを忘れることなく。