『永遠のハバナ』 | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

Ⅲ 『マダガスカル』の光の先、 『永遠のハバナ』


『マダガスカル』を観ては考えているうちに、次第に主人公の母親ラウラとペレス監督の姿が、私のなかで重なっていました。


大きな歴史のうねりに呑み込まれそうな娘ラウリータの悲痛な呼びかけを前にしても、初めは自分自身の精神的混乱のせいで、娘の気持ちを思いやる余裕がなかった母ラウラ。
けれでも、ようやく娘を大切に思う“自分の本当の気持ち”に気づいたとき、母は娘に歩み寄り、その心に寄り添い、そして彼女自身が変わっていきます。


私が、本やネットを通じて得た情報を通して、いつのまにか抱くようになっていたペレス監督のイメージ、それは次のようなものです。
家庭では3人の子供の父親で、子供たちの友人とも接触する機会が多い。
仕事では若い世代と共に映画を製作する一方、(テレビ映画)学校で若者たちを指導している。
こうした実体験を通して、監督自身が、若い世代の考えや悩みをよく知っていて、共に悩み、共に出口を探っている-


また実際に、昨年12月初めてハバナ映画祭に行って、ペレス監督がサポートした作品(新人監督三人によるオムニバス形式の映画『2x3』)を観たり、当事者のインタビューを読んで、ペレス監督が、若い世代からも信頼され、慕われていることを感じてきました。
(そういえば、マリオ先生から何度か「フェルナンドは本当に善人で、皆からとても愛されている」と聞いていたことも影響していると思います)


さて、ここで一瞬、唐突に話が飛びますが、数週間前の日曜日『日曜美術館』(NHK教育)で、興味のあった画家ラ・トゥールを取り上げたので見ていたときのことです。

ゲスト・コメンテーターとして、写真家の藤原新也氏が出演していたのですが、そのとき氏が発したコメントが、まるでペレス監督と『永遠のハバナ』について語っているかのように私には聞こえてきました。
そして氏の言葉によって、モヤモヤしていた私の中の気持ちに輪郭がとれてきたので、藤原氏の言葉を紹介することで、私の感想に代えさせていただこうと思います。(パクリ?)


まずは前置きから。
画家ラ・トゥールが生きた17世紀のフランス。戦争で画家の祖国は消滅し、人々は“繁栄”から、破戒と飢餓と疫病が蔓延する“狂気”と“虚無”の世界に転落。
絶望のなかで当時の人々は信仰に救いを求め、やがて「陽の光のなかで見えるものは偽り」「魂の目で見ること」を悟り、画家ラ・トゥールの描く闇は、ますます暗さを増していったそうです。


           ラ・トゥール       


展覧会場でラ・トゥールの描いた最晩年の絵『荒野の洗礼者ヨハネ』を観ながら、藤原新也氏は次のように言いました(完全な再現ではありません)。


この絵のヨハネは、一見すると、憔悴と挫折を感じさせる。

けれどもすごい力がある。
他のラ・トゥールの絵では、蝋燭の光が人物を照らし出しているが、この絵のヨハネは、彼そのものが光っている感じがする。

自身で発光できるパワーを秘めているというか…
憔悴し、挫折感に満ち満ちているけれど、内側から光を発するほどの力を秘めている。
ラ・トゥールという人は、ものすごい閉塞感の時代に、何かを必死で信じようとした人だと思う。だけど、最後は挫折している。

救いは、挫折しながら光っていること。
そして唯一の希望は、ヨハネが子羊に草を与えているところ。
世の中の大きな状況は変えることができないけれど、目の前の子羊に何かを与えることは出来る。その小さな祈りを発見しました。


私は藤原氏の言葉を聞きながら、ヨハネがペレス監督に、子羊がキューバの若い世代に見えました。しかも内側から光っているのはヨハネだけではありません。子羊もちゃんと内側から光っているのです。命の輝きともいうべき光で。


その後スタジオの発言では…
カロ(ラ・トゥールと同時代の版画家で、戦争の惨状をリアルに作品化した)は、現実を演劇的に見なしていて、劇化することによって、痛感をとばしている。一方、ラ・トゥールは現実と向き合ったがゆえに、引きこもっている。


“現象”から“存在”に近づいていくということは、藤原氏の言葉からすると大きいものから小さいものへと焦点を絞っていくこと、と言えるようです。
絵の中の聖ヨハネも普通の青年になっていると。


そして氏は続けます。
人間は小さくなることのほうが大きくなることよりも難しい。
小さくなることによって目の前の何かに対応することができる。
大きなことは言い易いが、目の前の小さな者の気持ちを変えることができるか。これは、なかなか難しい。


“栄光”が消えたあとの荒廃のなかで「光と闇と沈黙が支配する世界」を描いたラ・トゥール
“現象”から“存在”へ近づこうとする写真家・藤原氏の目。
長い間ドキュメンタリーを撮って培ってきたペレス監督の眼力。
この三人の目は、きっと現実の奥深くにある真実に迫る力を獲得しているのでしょう。


『マダガスカル』で若い世代の悩みと向き合い、『口笛高らかに』でその突破口を模索し、その後静かに、キューバの人たちの“魂”を“現実”の中からそっと掬い出して見せた―それが『永遠のハバナ』ではないか―と、今わたしはそんな気がしています。