『永遠のハバナ』 (序) | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
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Ⅱ マダガスカル』の闇と光 (『永遠のハバナ』 序として)


1989年に起きたベルリンの壁崩壊に次ぐ1991年のソビエト連邦の崩壊。

この世界的な社会主義政権の消滅がもたらしたキューバの“非常事態”。


エネルギー不足、食糧難をはじめとする物質的危機と、足元を揺るがせる精神的危機感は、それまでキューバに行ったこともなく、物質的に過剰なまでに豊かな日本にいる私には想像もできない…というより、正直言って“輝かしかったはずの理想”がこんな形で終焉するのかと思うと、日本にいても辛い気持ちになりました。

ルネ・マグリット「光の帝国」


ペレス監督が1994年に発表した『マダガスカル』は、まさにその“非常時”の痛ましいキューバの人々の様子、とりわけ精神的動揺を“雰囲気”で伝えています。


このブログでも紹介しましたが、ペレス監督に表現のインスピレーションを与えたモチーフの一つ、マグリットの絵「光の帝国」。“昼と夜が同一空間に共存している”その奇妙な感じ、それが表現したかったイメージだったようです。
マグリットの「光の帝国」というと、大部分の人にとって、時間を経て記憶に残る印象はあの“闇”のなかに灯る“明かり”なのだそうです。私にはこの事実こそ、人間の不思議と“希望(願望)”を語っているように思えてなりません。


そのせいでしょうか、『マダガスカル』について参照したコメントの中で一番印象に残ったのも、(これも紹介済みですが)メルセデス・S・モライ女史の「私たちキューバ人の困難な状況、迷い、カオスなど“危機”の実態が、主人公を通して、悲痛なメタファーとなってスクリーンに投影されている。(途中省略。4月21日付け「作品ノート」をご参照下さい)キューバの歴史の中でも、最も苦難に満ち、複雑で、けれども輝かしくもある時代のひとつが…」という発言中の「輝かしくもある」という言葉でした。


最も“悲劇的”な時でありながら“輝かしい”とは?


その“光”の実体を確かめたくて、私はマリオ先生にメールで尋ねました。
「“輝かしい”という言葉の真意が、はっきり分からないのですが、“非常時”のときにキューバで餓死者が出ず、なんとかあの最悪の状態を乗り切った事は、称賛すべきことだと言われています。“輝かしい”というのは、そういうことを指しているのでしょうか?」


マリオ先生からの返事は、次のようなものでした。
「キューバ人は誰もが『マダガスカル』を観ると、非常に憂鬱になる。けれども、あの困難な時期を乗り越え、前進し、生き延びるためにあらゆる策を講じ、しかも屈服したとか、敗北したとは感じなかったことも同時に思い出す。だからメルセデス女史は“輝かしくもある”と言ったのだ。マグリットは、青空の下で、明かりが灯っている絵を何枚も描いている。そこでは、昼と夜という、矛盾したものが共存している。それをフェルナンドは活かした。私たちの人生のなかにある矛盾を表現するために“輝かしい”という言葉の意味は、君の解釈のとおりだ」。


この返事をもらって、私のなかにも一条のが差し込んだような気がしました。
何か解らないけれど、私のイメージにあった“暗闇の中でうちひしがれているキューバ”に、明かりが差し込んだように感じたのです。(次回に続きます)